来週、東北に行くだよスッゲェ楽しみ。
来週末から少しの間、東北を巡りますよ。
東北の特産物を食べまくってやるんだ。
それだけじゃないけども 笑
すげー楽しみ。だから早く来週来い。
誰かを想うということを
忘れないように生きようと。
そう気づかせてくれる。
僕にとって今日はそういう日。
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2011年3月18日(金)
今日、福島県郡山市に住んでいる従弟と、
ようやく直接連絡を取ることができた。
郡山に住む従弟と叔母と祖母が皆無事だということは12日の時点で、
母親伝手に確認できていたんだけど、
その後も電話やメールは繋がらず、
刻一刻と変化をしていく状況に、
果たして無事を保ているのだろうかと、
毎日気が気ではなく、
かといって連絡が取れる状況ではないので、
「無事でいてくれ」と
そう願い続けることしかできなかったこの1週間。
従弟の裕太郎が僕の携帯にコールしてきたのが、本日10時30分頃。
咄嗟の出来事に対する僕の第一声は本当に間抜けで、
それは「無事か?」でも「大丈夫か?」でもなく、
「元気か?」だった。元気か?じゃねーだろと。
でも裕太郎は笑っていました。
間の抜けた僕の問いかけに彼は「元気だよ!」と精一杯返してくれた。
郡山に住む彼の答えは、家も無事、電気もガスも無事、身内も無事、
食べ物も水もある。ただ1つだけ困っていることは灯油がないということでした。
その答えに、「じゃあ車動かせなくて大変だな。困ったな。」
と言った僕に、「え?いや車のガソリンは満タンなんだけどね。」
と返す裕太郎。
?
満タンなのにまだ灯油を探しているのか?
と会話の辻褄が合わないことに、やっぱりアイツ、平静を装っているだけで、
気が動転しているのかな。と僕は気を遣ってそれ以上突っ込まないことにしたんだけど。
よくよく考えてみたら、灯油とガソリンはまったくの別物で、
なんだよ、動転しているのは俺のほうじゃないかと、
今これを書いているうちに気づいて、なんとも申し訳ない気持ちでいっぱいになった。
原発から漏れる放射能は、やはり郡山でも検出されているみたいで、
とは言え、レントゲン撮影をするのと同じレベルぐらいみたいだから大丈夫だって言う。
元気そうな声で言うから、逞しいなと思い始めていた矢先に、同じ声のトーンで、
「でも、福島はもう終わりだね。」
と裕太郎は言った。
「終わるもんかよ。大丈夫だ!」
あまりにも唐突過ぎて、僕は反射的な拒絶反応でしか言葉を返せなかった。
吐き出されたその言葉には何の根拠もない。なんと無力なことか。
でもそう言わずにはいられなかったんだよ。
「そうかね?」
「そうだよ!」
「はは(笑)それなら大丈夫だね。」
裕太郎は嬉しそうにそう言ってくれた。
なんとも言えない気持ちが込み上げてきた。
「今何してるんだ?」と聞いたら、
「友達と一緒にね、灯油探しの旅の真っ最中。」だそうだ。
「仕事は何もすることがなくてここんとこ毎日ほんと暇だー」なんてことを言う。
後方から友達の声なんかもうっすら聞こえてきて、
その瞬間、休日、晴れた日に暇を持て余した友達と一緒に、
散歩にでも出かけているかのような平和な風景が絵に浮かんだ。
もっと悲惨な地域があるにせよ、被害が少なかった地域であるにせよ、
決して安心できる土地ではないはずだ。放射能も検知されているその土地で、
彼らはめげずに今日を生きている。本当に立派だと思った。
遠く東京の地で今日僕が感じたこの暖かい日差しが、
どうかどうか彼らにもたくさん注がれますように。
「こっちに避難してこないのかい?」という僕の問いに
「逃げたいけどね。施設の人を置いてはいけないよね」とただ一言。
裕太郎は介護福祉士として市内の介護老人福祉施設で働いている。
僕はこの従弟の裕太郎を誇りに思います。
オマエみたいな人間がいる限り、福島は終わらないよ。
福島では今まで本当に、
そういう優しい人間しか見たことがない。
頑張れ福島。
頑張れ裕太郎。
頑張れ東北。
頑張ってくれ原発。マジで頼む。
被災地の一日も早い救済、復興を心よりお祈り申し上げます。